哲学

お久しぶリヴァイ。ギリギリで生きてます。
今日はなし崩し的に日本作業療法学会にいってきました。どうしてこうなった。
いや、私的にメインは晩ご飯食べにいくだけだったんですけれど、これが意外に面白くてですね。
作業療法士がわからない人はぐぐってください。要するに介護系のなにかだと思ってくれれば大丈夫です。
まあ前半寝てたんですが…仕方ないね。
そうですね、まあ印象に残った話だけを抽出して書くと二つくらいになりますかね。忘れない内に綴らせてもらいます。

まず、学校の先生がある日突然24時間要介護になった話。
自分でなにもできなくなって生徒になにも教えられなくなったけれど、生徒達に自分を介護させることによって教育をしたそうです。
で、その介護をした生徒達の中に、対象的な意見を持った人がいたそうで。
一人は、『先生は、普段友達や家族に言っても流されるような些細なことでも親身になって聞いてくれる』。その先生はもう聞くことくらいしか、逆に言うと聞くことだけはいくらでも出来るわけだから、ちゃんと話を聞いてくれる。それどころか相談までしてくれて、家族に言えば笑われるようなことでも真剣に応えてくれるとのこと。
そしてもう一人は、『先生が要介護になってくれてよかった。おかげで自分でも誰かに必要とされてると感じることができた』と言っているそうです。近頃の10代20代は自分の存在価値を問うそうで。例えば「自分には秀でた才能なんてない。なにもかもが中途半端だ」とか「こんな私が生きてていいんだろうか」みたいな感じですかね。
まあ生きてていいのかとかは思ったことないですが、前者のほうはたまに思います。如何せん思春期ですから。
そんな人に対して、先生は「そこにいるだけで価値があるんだ」といってくれる。弱いところを隠して鎧を纏っていても、いつかは張りすぎて壊れてしまう。そんな人にも、「弱いままでいいんだ」と言ってくれる。
…確かそんな話だったはずです…一日経ったので細部美化しちゃってるかもですね。すみまそぬ。

あともう一つは、「代替」ではなく「代理」という発想。
…ものすごくアバウトにいいますと、「私が死んでも代わりはいるもの」ではなく「私が死んだらあなたが代わってね」ということでしょうか。
実際生死に関わるようなことではありませんが、まあそんな感じです。
「お前の代わりなんていくらでもいる」と言われるより、「お前が動けなかったら代わりに動いてくれる人がいる」の方がいいですよねって話。

なんかちょっと厨房臭くなりましたね。でも哲学なんてこんなもんです、仕方ないね。
まあとりあえず一番言いたかったことはですね、絆とつなぎを言い間違えたせいでとってもいい男。




話は変わりますが今週の進撃やばかったですね。兵長回りすぎ、作画兵団は完全に駆逐された模様。
最近暑くなってきましたね。クーラーの効いた部屋から動きたくありません。
多分更新頻度は一ヶ月に一回くらいになります。よければこの憐れな受験生にエールでも送ってやってください。
ではではー☆